JALTのこれまでの歩み

全国語学教育学会(JALT)は、今年2013年に兵庫県神戸市の神戸コンベンションセンターで第39回年次国際大会を開催します。ここでは、情報交換を目的とした語学教師のグループが、日本で最も規模の大きい語学教育団体の一つとして、そしてまた語学教師としての成長を目的とする有益な共同体の一つとして歩んできた、これまでの軌跡をご紹介させていただきます。 語学教師の組織を発足する構想は、1975年に小田原市の語学教育機関にて、語学教師が集まってお互いの指導方法について意見を交わす為に開催したカンファレンスから生まれ、これが私たちの原点となりました。 1976年、関西地域のおよそ50名の語学教師によって形成されたJALTの前身である「Kansai Association of Language Teachers (KALT)」では、トム・ペンダーガスト氏がJALTの初代理事長として就任しました。それから数年間のうちに会員数はさらに増え、運営陣はより厚みのある組織体制にすべく、理念や目標を具体化していきました。 この他、JALTの創始者にはデービッド・バイシナ氏とダグ・トムリンソン氏がいますが、彼らは1976年に東京でKanto Association of Language Teachersを立ち上げ、時を同じくしてチャールズ・アダムソン氏が名古屋でTokai Association of Language Teachersを立ち上げました。1977年には、この3つの組織のリーダーが集まり、年次大会の実施の決定と3つの支部(関西、関東、東海)からなるボランティアかつ非営利の組織として、JALTの定款及び細則を取り纏めました。また同年には、TESOL (英語教師協会)の正式提携団体としても加入しました。 そしてJALTは、組織結成の土台作りを始めた1975年を創立年としました。 1978年には、1975年以来KALTのメンバーであったマリー・ツルダ氏が中国支部を新しく立ち上げ、この時点で日本国内のJALT会員数は、およそ1,000名にまで達しました。 その後、1978年に西日本支部と四国支部が結成され、さらに1979年には東北支部、北海道支部、1980年には京都支部と沖縄支部、1981年には長崎支部、1983年には浜松支部、神戸支部、岡山支部、1984年には松山支部、横浜支部、1985年には千葉支部、静岡支部、徳島支部、山形支部、1986年には茨城支部、大宮支部、群馬支部、1987年には新潟支部、福井支部、長野支部、豊橋支部、西東京支部、1988年には鹿児島支部、1989年には姫路支部、岩手支部、奈良支部、栃木支部、1990年には山口支部、1992年には秋田支部、1995年には北九州支部、1996年には宮崎支部、1999年には岐阜支部、2005年には東四国支部、そして2009年に結成された最も新しい大分支部が加わり、現在JALTでは35の支部が活動しています。 また組織の成長や、まだ浸透していない地域に新しく支部を結成させることに可能性を実感したJALTでは、1979年から様々な改革を始めました。まず、デービッド・バイシナ氏が編集を務める「JALTニュースレター」が月刊誌になり、研究誌として年に2回「JALTジャーナル」(初代編集者:ナンシー・ナカニシ氏)を発行するようになりました。 またこの時期、日本のある著名な教育者から「JALTを2つの組織に分割して、1つを外国人専用に、もう1つを日本人専用にしてみてはどうか?(1つの組織でいるよりも、2つの組織に分かれて共同作業を行った方が効率が良いという発想から)」という提案をいただきましたが、JALTはこれまでの方針を変えることなく、全ての先生方、専門家、語学教育に関心のある学生達に開かれた組織として、国籍や職業、指導科目、学習科目、あるいは指導する言語の種類を問わないことにしました。 また同年に、JALTはIATEFLの正式提携団体となり、アメリカのTESOLやアジア地域のESL (第二言語としての英語)団体とも、さらに協力関係を深めていきました。現在、JALTはThailand TESOLや台湾のETA-ROC、フィリピンのPALT 、韓国のKorea TESOL、ロシアのFEELTA、カンボジアのCambodia TESOL、Linguapax Asia、マレーシアのMELTA、インドネシアのTEFLIN、IAFORと国際パートナーシップを組んでいます。また日本国内では、UALS (言語系学会連合)の役員会の一員として籍をおき、その他にAJET (全国JETプログラム参加者の会)、ESTEEM (小学校テーマ別英語教育研究会)、JII (異文化教育研究所)、ETJ (English Teachers in Japan)とパートナーシップを組んでいます。 1983年には、JALTニュースレターに日本語の記事を増やすべく、北尾謙治氏を日本語編集者として迎え、1984年には雑誌名を「JALTニュースレター」から「The Language Teacher」に改称し、その後も月刊誌として発行を続けました。これはその他の言語教育組織と比べても稀なことで、当時の語学教育団体としては、JALTが唯一月刊誌を発行している団体になり、その他にも年次国際大会用のハンドブックや年2回発行のJALTジャーナルを発行していました。 2009年に入ると、JALT出版物をウェブサイトで閲覧できる手軽さにより、オンラインでの読者が増えてきました。このことから、出版委員会はウェブサイトを通じて、より素早く情報の更新が可能になると考え、The Language Teacherを隔月刊誌としました。 JALTの活動に携わる日本人会員の数は年々増え続けましたが、1985年にはヨシダ カズオ氏が日本人会員では初めてとなる年次国際大会大会共同企画委員長を務めました。また1989年には初めて、関東と関西、東海地域以外の場所にあたる岡山県のノートルダム清心女子大学で、年次国際大会を開催しました。この頃には、大会開催期間中に行う晩餐会や様々な親睦パーティーは、大会における社交イベントのハイライトとしてすっかり定着しました。 JALTはこれまで本州と四国・九州を合わせ、38回の年次国際大会を開催してきました。内訳としては、東京開催が7回(1978年、1981年、1984年、1987年、2007年、2008年、2011年)、名古屋開催が5回(1977年、1980年、1983年、1995年、2010年)、静岡開催が5回(2000年、2002年、2003年、2005年、2009年)、京都開催が3回(1976年、1979年、1985年)、大宮開催が3回(1990年、1993年、1998年)、浜松開催が3回(1986年、1997年、2012年)、神戸開催が2回(1988年、1991年)、北九州開催が2回(2001年、2006年)、小田原開催が1回(1975年)、大阪開催が1回(1982年)、岡山開催が1回(1989年)、川越開催が1回(1992年)、松山開催が1回(1994年)、広島開催が1回(1996年)、前橋開催が1回(1999年)、奈良開催が1回(2004年)となっています。 今後の開催は、JALT2014を初めて茨城県つくば市の つくば国際会議場で、JALT2015を静岡市のグランシップで予定しています。 1988年には、アジアン・スカラー・プログラムを開始しました。このプログラムは、アジア諸国の語学教師(スカラー)を日本に招聘し、日本の語学教師と交流を持つ機会を提供したり、スカラーが年次国際大会の場や「Four Corners ツアー」と呼ばれる日本各地を周遊しながら各支部でプレゼンテーションを行う機会を提供しています。 本プログラムは2008年に、姫路支部の代表であり、教師による教師のための研究部会の代表でもあったビル・バルサモ氏に敬意を表し、名称を「バルサモ・アジアン・スカラー・プログラム」に変更しました。 本プログラム開始以降、スカラーとして来日したアジア諸国の語学教師は、中国から4名、ベトナムとフィリピンから各3名、カンボジアとラオスから各2名、ロシア、パキスタン、インド、マレーシア、インドネシア、韓国、バングラディシュから各1名となっています。 90年代にはさらに多様な変革がもたらされました。まず1992年に、初代JALT事務局長として藤尾純子氏を迎え、この時点でのJALTの資産は4,400万円を超えていました。しかし、その後のバブル経済の崩壊で、他の組織と同じように、JALTも経済的困難に直面しました。いくつかの問題点は、刊行物の出版コストの増大や、大会の開催規模の拡大により通常の大学施設よりも割高な商業施設を利用しなければならないこと、JALTをサポートしていただいている教材出版社の合併、またJALT刊行物の広告収入の激減などがあげられました。 さらに会計処理の不備や、バブル崩壊による失業から、語学教師であったJALT会員も大勢母国に帰国し、退会者が続出したことから、JALTの予備資金はほぼ底をつき、いよいよ経済的に深刻さをきわめることとなりました。 そんな中、財務担当理事は、財務運営委員会メンバーの協力をえながら、JALTの財政システムを再構築していきました。そのおかげでミレニアムを迎えると、財政状態も改善し、再び黒字経営に戻すことができました。 2001年には、財務担当理事の負担を軽減する目的で、外部から会計士を起用し、財務システムを現行のシステムに変更しました。 分野別研究部会の結成は1990年から始まり、初期はバイリンガリズム研究部会とビデオ研究部会の2つのみでした。しかしすぐに、1991年にはグローバル問題と言語教育研究部会、1992年には日本語教育研究部会、チーム・ティーチング(のちの中学・高校外国語教育研究部会)、1993年には教材開発研究部会、コンピューター利用語学学習研究部会、大学外国語教育研究部会、1994年には教師教育研究部会、1996年には教育におけるプロフェッショナリズム、運営、リーダーシップ研究部会、児童語学教育研究部会、試験と評価研究部会、1999年にはジェンダーと語学教育研究部会、英語以外の外国語教育研究部会、2000年には語用論研究部会、2005年には生涯語学学習研究部会、2008年には海外留学研究部会、多読研究部会、教師による教師のための研究部会、2009年には言語共通参照枠と言語ポートフォリオ研究部会、2010年にはビジネス英語研究部会、クリティカル・シンキング研究部会、タスクを基にした学習研究部会、2011年には語彙学習研究部会、スピーチ、ドラマ、アンド ディベート研究部会、言語教育と文学研究部会、2013年には、学校経営者研究部会が発足し、現在27の分野別研究部会が活動しています。 また分野別研究部会は、2002年から分野別研究部会主催の年次大会(Pan-SIG)を開催し、毎年場所を変えながら、地方支部との共催で実施しています。2014年は宮崎にて、第13回Pan-SIG年次大会を開催します。 さらにJALTは、汎アジア連合(PAC)の形成にも先頭に立って参加し、1997年のタイ・バンコクで開催したPACカンファレンスを皮切りに、1999年には韓国、2001年には北九州、2002年には台湾の台北、2004年にはロシアのウラジオストック、2007年には再びバンコク、2008年には東京、2009年にはフィリピンのマニラ、2010年には韓国のソウル、2011年には再び台北、2012年は、ロシアのウラジオストックでカンファレンスを開催しました。今年2013年は、12月に第12回PACカンファレンスをフィリピンのセブ島で開催します。 1998年に社会貢献活動や慈善活動を行う市民活動を促進する目的で制定されたNPO法を機に、JALTは1999年に特定非営利活動法人(NPO法人)として登録を申請し、東京都よりNPO法人としての認可を受けました。 現在JALTではNPO法に則り、毎年、年に2回の総会と3回の執行役員会議を開催しています。 2013年には、JALTの将来の計画や発展の指針となるミッションステイトメント「全国語学教育学会は、言語教育関係者が交流・共有・恊働する機会を提供し、言語学習・教育及び調査研究の発展に寄与します。」が執行役員会で承認されました。 さて、JALTの将来は今後どうなっていくのでしょうか? 正常な財政状態の下で、今後もどのような形で会員の皆様に貢献できるのか、会員を増やしていくにはどうすべきかを追求していきます。またアジア諸国の国際機関とも、PACカンファレンスや交流プログラムを通じて、関係の強化に務めます。また最も大切なこととして、JALTは所属会員全員に今後も末永く最良のサービスを提供できるよう取り組んで参ります。